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いつか誰かと交換日記!?


死について考える~ドラマ「合言葉は勇気」編~

鈴木京香
なんか不思議な感じ
役所広司
何が?
鈴木京香
母が死んだ時もそうだったわ
テレビドラマでよくお通夜のシーンとかやるじゃないですか

役所広司
うん

鈴木京香
みんなよく泣いてるけどあれは嘘だと思う
ほんとに悲しいのは普段の生活に戻って
いつもいる場所にいつもいるはずの人がいないとき
その時に初めて悲しくなるの
涙がでるの

お通夜で泣くのはほんとに親しくない人だけ


死について考える~ドラマ「合言葉は勇気」編~_b0064943_17203482.jpg

ほんとに悲しいのは普段の生活に戻って
いつもいる場所にいつもいるはずの人がいないとき
その時に初めて悲しくなるの
涙がでるの



僕の祖父(母方の父)が亡くなったのは小学生高学年の頃だった
僕の父と母は自営業をしていたせいもあり、
基本的には親戚の家に遊びに行くことがなかった

ただその中で毎年夏になると近くが九十九里浜だったからか、
よく母方の実家(千葉県八日市場市)には遊びに行った。
夏だけではない、秋にはタケノコ狩に出かけたり
新年明ければお年玉を貰いに挨拶したり、、、
四季折々なにかあると唯一、よく遊びに行く場所であった

いつも一緒にいるわけではないが
小学生で言うところの遠足にでかける、そんな感覚で訪れる場所であった

祖父の死を聞いたのは、突然であった

学校から帰ると、いつもは開いているはずの店のシャッターが降りていて
何もわからないまま着替えさせられ、
いつも配達で使っているハイエースの荷台をシートに変え
父、母、弟一家4人で祖父宅に向かった
祖父の死は、その行きの車の中で聞かされた
出発も遅かったので、到着した時分には、田舎のせいか辺りが真っ暗で
虫の声しか聞こえない静かな夏の夜半頃だと覚えている

遊びに行くときに僕らがいつも使っていた部屋の中央で祖父が横たわっていた
顔に四角い白い布を被せられて。
ピクリとも動かない祖父を見ても、当時の僕は涙を流すどころか、
悲しさという感情は抱かなかったように思える
ただ呆然と見つめるだけであった

まだ死というもの自体が具体的にどういうものなのか感じられなかったのだろう
ただ、気持ちのいいものではなかった
恐怖とまではいかないまでも、何か胸の奥のほうが詰まる、
そんな気持ちを抱いたことだけは覚えている

次に身近な死というものに直面したのは大学4年の夏に入る前のことだ

中学の時の同級生が夏先取りで海水浴に行き海で波にさらわれ、溺死してしまった
希望の大手会社に内定を貰った直後のことだったらしい
彼とは同じクラスで机を並べたことはなかったが、
その頃にはまだ珍しかった私立高校に受験した仲間だったことから、
たまに駅などで顔を合わせれば近況を語り合う、
どこか同士のような間柄だった

目黒にある斎場で見た彼の姿は波にさらわれた影響をもろに受けていて
申し訳ないが、一瞬ゾッとした気持ちを抱いてしまった
同級生らと何人かで連れ立っていったが、皆、口は重く呆然としていた

斎場でお手伝いされていた彼の親戚の方だろうか、
「供養になりますから食べてやってください」
と誰も手をつけずにいたお寿司を勧める声が妙に残っている

ここでも僕は涙が出なかった
ただ友人の死というものはしっかり認識していた

祖父の死と、友人の死と共通していたのは涙は出なかったことだ
ドラマでの鈴木京香さんのセリフと同じ感情かは分からない
ただ人間、突然の出来事には呆然としてしまうものではないかと思う
そして、その人の存在を改めて失ったと感じたときに初めて涙する
その辺りの考えはドラマでのセリフと同じだ

祖父と友人の死の後、改めて涙した覚えがないのも事実だ

今だに死というものを考えるとき何故か二人の顔を思い出す
小さい頃、よく遊んでもらった祖父の姿
波にさらわれた友人の姿
それは、死というものをまだ認識できなかった頃、初めて直面した死と
既に死を認識できるようになってから初めて直面した死である
by ken-roku | 2005-08-05 17:20

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